「コンピュータの説明」または知性のあり方について
はやりの人工知能の話題でも
ソフトウエアが言語の意味や文脈を理解することなく翻訳を行う統計的自然言語処理をする。そこに何か知性というか記述主体を見いだすこと。
昨今の人工知能で注目されている機械学習、わけても深層学習の本質は正解となるデータを一定数与えることでソフトウェアに学習させることだという。その意味では人間の「知性」とは異なるものの、知性にもいろいろなあり方があるというのもSFチックで良いのではと思う。
その後「東京大学合格を目指す」人工知能プロジェクト「東ロボくん」が東大受験を断念というニュースもあった。
「常識」がないと読解力に限界があるというのは、かつて知識ベースで実現を目指した人工知能がぶちあたった壁が再び立ちはだかっているようでもある。シンギュラリティなんてうそさ。
オートチャージにしろよ
たぶん殺伐とした朝に書いたのだと思う。
朝の通勤時や帰宅時に頻繁に目にするのが自動改札でのカード残額不足エラー。ついうっかり忘れていたとかじゃなくタッチして不足していればチャージするということらしいけど、人の流れが止まるので勘弁してほしい。みながそんなことすればどうなるか想像できないわけでもなかろうに。
ポリティカル・コレクトネスに触れるかもしれんけど、これ女性に多いんだよねえ。実感として。
リアル書店ネット書店
大都市で自分の行動範囲内にそこそこの規模の書店が複数あるような環境なら、定期的に書店を訪れ自分のアンテナにひっかかる新刊を見つけるのはさほど難しくないけど、そうした環境になかったり時間がなかったりでネット通販に頼ってる人などは新刊探しにも工夫が必要となるだろうなあ。
よく言われるのが「ネット書店では自分の読みたい興味の範囲の本しか見つけられないけどリアル書店では未知の分野の本との偶然の出会いがある」ということ。
自身にも経験がありそのこと自体を否定しないけど、興味のない本はリアルに目の前にあってもそもそも認識できずスルーするもしれない。
また出版点数の多さから店頭に並ぶ本の多くは短い期間で返本され新刊と入れ替わる。店頭にあり続けるのはベストセラーやシリーズものの既刊、メディアで紹介された話題の本、ないしは図書館でも読めるような古典などの定番であり、偶然そのものが成立しにくいとか。
結局のところ、リアル書店だろうとネット書店だろうと自分の観測範囲の限界を自覚しつつも能動的に探索するほかないのかもしれない。
本との出会いということであればたまに訪れる都心の大きな図書館の方が意外な発見があったりする。
アメリカ大統領選挙
米大統領選挙はドナルド・トランプ氏の勝利。不動産王にしてテレビのコメンテーターという経歴から泡沫候補と思われていたがあれよあれよと共和党の指名を勝ち取り、相次ぐ舌禍で識者の論評や世論調査では苦戦と予想されていたのにこの結果となった。
移民問題などPolitical Correctnessと絡めて論じている人が多いけど、経済というか暮らしの問題なのだと思う。自分たちの仕事を流入する労働者あるいは新興国の安価な労働力に奪われたくない人たちが動いたということ。進んで他の人々を攻撃したい人がそんなにいっぱいいるとは信じたくない。
おおむねそういうことなんだけど、自分が不愉快と思う他者を攻撃することに悦びを見いだす人も多数派ではないにせよ一定程度はいる。残念だけど。